コンテンツに進む

抹茶の歴史|発祥から世界的ブームまで千年の時を超えて愛される抹茶の世界

抹茶の歴史|発祥から世界的ブームまで千年の時を超えて愛される抹茶の世界

 

抹茶は、長い歴史を持つ飲み物です。単なる飲料にとどまらず、文化として人々の生活に寄り添い、時代とともに変化しながら受け継がれてきました。

今や抹茶は世界的なブームとなり、国境を越えて多くの人々を魅了し続けています。本記事では、抹茶の歴史をひもとき、その魅力に迫ります。

千年を超える抹茶の歴史

抹茶は、今から千年以上前に中国で生まれ、その後日本に伝わりました。以下に、日本における抹茶の歴史を年表形式で紹介します。


平安時代

  • 唐から茶種と茶の文化が日本へ伝わる

鎌倉時代

  • 栄西が禅とともに喫茶文化を広める
  • 栂尾や宇治で茶の栽培が始まる

南北朝~室町時代

  • 武士階級で喫茶が流行する
  • 村田珠光が「わび茶」を創始する

安土桃山時代

  • 千利休が「わび茶」を大成する

江戸時代

  • 茶の湯(茶道)が武家社会に浸透する
  • 煎茶・玉露が製造される

明治時代

  • 茶の輸出が盛んになる
  • 煎茶が主流となり抹茶は一時衰退する

大正~昭和時代

  • 茶の製造が機械化する
  • 抹茶が食品に利用されるようになる

平成~現代

  • 国内で抹茶スイーツが流行する
  • 「MATCHA」として世界的抹茶ブームが起こる

中国における抹茶の原型がどのようなものであったのか、また、それがどのように日本に根付いていったのかについて、詳しく解説していきましょう。

中国における抹茶の原型

お茶の発祥は中国にあるとされています。3世紀頃の書物『広雅』に、お茶に関する記述が見られるほか、唐の時代には文筆家の陸羽が、古代から唐代までの茶文化についてまとめた『茶経』を著しています。

当時の中国では茶葉を固めた固形茶が主流で、「餅茶」「団茶」などと呼ばれていました。

現在の抹茶に近い飲み方は、宋の時代に生まれたようです。徽宗皇帝が著した『大観茶論』には、茶葉を粉末にして点てる方法や、茶筅のような道具についての記述も見られます。

しかし、明の時代になると中国での抹茶文化は衰退し、抹茶は発祥の地を離れて日本で独自の発展を遂げることとなりました。

日本へのお茶の伝来

中国に遣唐使が派遣されていた平安時代初期、日本にお茶が伝来しました。最澄や空海などの留学僧が、唐から茶種を持ち帰って栽培したという記録が残っています。


また当時編纂された『日本後記』には、僧侶永忠が嵯峨天皇にお茶を献上したことも記載されています。


しかしこの頃のお茶は僧侶や貴族の間でのみ用いられ、一般には普及しないまま、遣唐使の廃止とともに廃れていきました。

栄西と喫茶文化の普及

お茶の文化が本格的に広まるきっかけを作ったのは、鎌倉時代初期の禅僧である栄西です。栄西は日本における禅宗の開祖であると同時に、喫茶の文化を日本に伝えた「茶祖」とも呼ばれています。

彼は留学先の宋で、座禅の眠気を覚まし、集中力を高めてくれるお茶の存在を知りました。帰国後は九州の背振山に茶種を蒔いたほか、京都の栂尾にある高山寺の明恵上人にも茶種を贈ったと伝わっています。

栄西が残した著書『喫茶養生記』は、日本初の茶の専門書です。この『喫茶養生記』によって、茶の粉末に湯を注いで飲む点茶法のほか、抹茶の原料となる碾茶に近い製法も伝わり、日本の喫茶文化に大きな影響を与えました。

日本における抹茶文化の発展

室町時代になると、宇治の茶園は幕府の特別な待遇を受け、茶の名産地に発展していきました。当時の文献から、この頃に「抹茶」という呼称も定着し始めたことがわかります。

それまで主に薬として用いられていた抹茶はこの時代、武家の社交や娯楽の手段として親しまれるようになりました。

一方で、禅の影響を受けた茶人たちにより、「茶の湯」という独自の文化が発展していきます。

書院の茶の流行とわび茶の始まり

南北朝時代から室町時代初期にかけては、書院造の部屋で絵画など華やかな品々を鑑賞しながらお茶を楽しむ「書院の茶」が主流となり、茶を飲み比べる「闘茶」も流行しました。

しかし茶人で僧侶の村田珠光は、豪華さを追求する書院の茶に対し、禅の思想をもとに、茶を通して精神性を追求することを提唱しました。

これがのちの「わび茶」の出発点とされています。

わび茶を完成させた千利休

ポルトガルの宣教師ジョアン・ロドリゲスが著した「日本教会史」には、碾茶の栽培についての記述があり、安土桃山時代の日本が抹茶の盛んな時代であったことがわかります。

またこの頃、村田珠光の流れを汲んだ武野紹鴎の弟子として、千利休が登場します。

当時は大名や将軍に仕えて茶の湯を取り仕切る、「茶頭」という役職がありました。千利休は織田信長や豊臣秀吉といった天下人の茶頭を務めるなかで、わび茶を大成します。

利休の茶の湯は、現在まで続く茶道の礎を築き、その後の抹茶文化に計り知れない影響を与えています。

茶道の定着と煎茶・玉露の登場

江戸時代には茶人・小堀遠州が将軍徳川家光に茶道を指南して以降、「将軍家茶道師範」の役割が大名家に生まれます。また室町時代から存在していた茶の製造販売業者「茶師」は、販売先をもとに階級を分けられ、江戸幕府に保証される身分となりました。

こうして抹茶が武家社会に定着するなか、煎茶も製造されるようになり、庶民の間ではより気軽に飲める煎茶が普及します。

また江戸時代後期には高級茶の「玉露」も生まれ、日本の喫茶文化は多様化していきました。


近現代における抹茶

ここからは、近現代において抹茶がどのような変化を遂げていったかを見ていきましょう。

明治維新と茶道の継承

明治維新で幕府が政権を返上すると、茶師は販売先を失い、茶道も衰退の道をたどりました。国内では煎茶が主流となり、抹茶の消費量は一時的に減少します。

しかし、明治5年に設立された女子の教育機関「女紅場」に茶道が取り入れられたことをきっかけに、これまで男性中心であった茶道が女性たちに継承されていくこととなります。

また、開国とともにお茶の輸出が盛んになり、明治39年には岡倉天心が「茶の本」を英語で著し、海外に向けて日本の茶道を伝えました。

茶業の変化と抹茶スイーツの流行

大正期以降、茶の製造は機械化が進みます。それまで茶葉のまま売られ、購入者が自分で茶臼を使って挽いていた碾茶も、電動茶臼の登場によって、あらかじめ挽かれた状態で売られることとなりました。

在来のチャノキは品種へと変わり、食品加工用の抹茶が増加し、茶道用に限られていた抹茶が和菓子やアイスクリームなどの食品に利用されるようになりました。

昭和の後半には日本国内で抹茶を使ったスイーツが流行し、「抹茶ブーム」と呼ばれる現象が起こります。平成になると、アメリカ発のハーゲンダッツやスターバックスなどの企業が抹茶を使った商品を開発し、抹茶ブームはさらに広がりました。

世界的「MATCHA」ブームの到来

現在、抹茶は海外で「MATCHA」と表記され、世界的なブームとなっています。


2010年頃からアメリカやヨーロッパでは抹茶カフェが増加しました。ちょうどインスタグラムが流行し始めた時期と重なって、抹茶の鮮やかな見た目がSNSで広く紹介されたことが、ブームをさらに盛り上げました。


抹茶を含む日本茶の輸出額は過去最高となり、宇治の老舗店に並ぶ抹茶は外国人観光客に大変人気で、生産が追いつかないほどだといわれています。


世界的なこの抹茶ブームでは、かつての国内での流行と異なり、抹茶の栄養価が注目を浴びています。海外において、抹茶はスーパーフードとされ、健康志向の人々に支持されているのです。


しかし、抹茶の栄養価が注目されるのは今に始まったことではありません。日本にお茶を伝えた栄西も、すでにその健康効果を強調していました。現代の世界的な抹茶ブームは、こうした抹茶本来の価値を、改めて見直すきっかけなのかもしれません。

時代を超えて世界に伝わる抹茶の魅力

本記事では、中国で発祥した抹茶が日本に伝わり、世界的抹茶ブームとなるまでをたどりました。

抹茶の歴史は、人々の精神性や文化の変遷をも映し出しています。薬として、社交の道具として、また心と向き合う作法として。時代の流れとともにさまざまな側面を見せてきた抹茶には、深い魅力が感じられることでしょう。

本記事をきっかけに、改めて抹茶を淹れることと向き合い、お茶を味わう時間を楽しんでいただけたら幸いです。