建仁寺と抹茶の深い関係|栄西禅師が育んだ禅の教えと喫茶文化を伝える寺院
日本抹茶の起源を伝えると、京都の建仁寺の創始者である栄西上人が日本にもたらした禅の教えとの深いつながりが明らかになる。 散歩では、「茶の寺」とも呼ばれる建仁寺の歴史を、栄西の生涯を通して紐解きます。また、境内に残る茶文化にゆかりのある歴史跡も紹介します。 建仁寺の開祖栄西とは 建仁寺勅使門 栄西は中国から禅宗と茶文化を日本に持ち帰り、その普及に生涯を捧げた僧侶です。 彼が建立した建仁寺は、禅の修行と茶文化の中で安心となりました。 まず、栄西とはどんな人物だったのか詳しく見てみましょう。 栄西の幼少期 栄西禅師生誕地(岡山県) 栄西は1141年に岡山県の神社に生まれました。 神道の家に生まれた栄西は、近い頃から仏教に強い関心を抱き、14歳で仏門に入りました。しかし、当時の日本の仏教界は衰退しており、栄西は中国に正統な教えを求めました。 彼が初めて中国へ旅したのは28歳の時で、約6ヶ月間滞在しました。 47歳の時、彼は再び中国へ旅立ち、約5年間禅の修行に励みました。 お茶との出会い 建仁寺境内の茶園 栄西は中国で禅を修行していた際に茶に出会いました。 日常生活における心の静寂を重んじる禅の修行において、茶を飲むことは日々の鍛錬の一部でした。 栄西は、お茶が瞑想中の眠気を防ぎ、精神を浄化し、穏やかな気分を引き出すことを知りました。 栄西は茶の種子と、抹茶のベースとなる碾茶の製法、そして碾茶法(すり潰した茶葉茶碗に入れ、熱湯を注ぎ、茶筅で点て立ち)を日本にお持ち帰りしました。 この喫茶のスタイルを日本で紹介したことで、栄西は「茶の父」と呼ばれるようになりました。 建仁寺の創建と栄西の活動 建仁寺本堂 ここからは栄西が建仁寺を拠点として禅と茶を広めた経緯を見ていきます。 禅と茶の栽培の普及...
